こないだシャワーを浴びていたら
「結局は海なのか」
という言葉が降ってきた。
*******************
3月はなんとなくいつもよりも落ちてしまいがちだから、どんな状態だと自分は心地いいんだっけということを改めて知っておきたくて、
何が楽しくて筆を持つのか
何をやりたくて墨を摺っているのか
を自分の中に問いとして置いてみた。
その中でいろいろな書体を試してみていて、
写真のようなものを書いているときの、予期せぬにじみやかすれ、墨のグラデーションに出会うことが好きで、一色の墨色でまじめにきれいな線を書くことはできることだけど、そこまで興味がないなあ、ということを認識する。
見てみて、このにじみの中にあるかすれ♡
これ、大好物♪
って人に言って回りたい気持ち。
*******************
そして、小さいころ、何もすることがなくなると海に行ってずっと波の形を眺めていたことも思い出す。
大きそうな波、これはここまでくるかな?
それほどでもないと思ってたけど足元まで来た!
この波はあの引き波に勝つかな、負けるかな。
あ、あっちで泡が立った。
そうやって、同じ形になることは二度とない波をずうっとずうっと眺めているのが好きだった。
今度はどんなふうになるのかな?
こないだ海に行った時もやっぱり波の動きをずうっと追ってる自分がいた。
*******************
海と三方を山に囲まれた小さな田舎町の漁師の家に生まれて、閉塞感のある田舎が大嫌いだった。
なんだか海は自分を縛る象徴のような気がしていた。
大嫌いだったけど、海のない生活をしてみたら愛おしさが募った。
自分のアイデンティティのど真ん中に海があることを知り、受け入れたのち、海は牙をむく。
呆然と、静かになった海を何度も眺めたけれど、それでも海を恨むことはできなくて、抵抗をやめた。
そうして、今、自分が書で表現したいものが
波のように一色の中にグラデーションがあって、
しぶきを表すようなかすれや
水の広がりを模したにじみの中に現れる
海だったことにいきつく。
人生の中ではねのけたかったり急に愛しかったりしながら結局は自分にとって大切なベースになっている海を、私は表現したかったのだ。